第24回訪緬(2015.3.4―3.6) 3月5日(木)

午前中は第二医科大学へ。学部長と歓談後、中央研究所へ。ここにはわれわれの提供した機材がいろいろあり、とくに、PCRは非常に活用されている。2台あるが、壊れた時の予備にと1台持参した。齊藤先生は分光光度計を持参。重いが、日比野先生が運搬に大活躍。次にニチレイバイオサイエンスから提供を受けた抗体を渡す(図2)。ミャンマーでは免疫染色の抗体はほとんど入手できない。われわれの持参する抗体は貴重である。


図2 抗体と機器の寄贈

 午後は国立衛生研究所(NHL)へ。先週は大きな出来事があった。文科省の国際感染症研究ネットワークの一員にわれわれ新潟大学チーム(代表:齋藤玲子教授)が選ばれ、ミャンマーに新潟の研究拠点を作ることになった。今回の訪緬は医療支援と研究打合せ、インフルエンザ検体の回収のために予定したが、急遽NHLに拠点のための部屋を提供してもらう交渉の機会となった。NHLの所長テイテイ・チン先生はヤンゴン小児病院の病理医で、われわれは彼女に2010年から抗体供与などを続け、病院には薬剤を寄付した( http://www.med.niigata-u.ac.jp/pa2/myammar2010aki.htm)。彼女が所長になったと聞いて驚いたが、精力的に改革に取り組んでいる。所内のあちこちが改修され、トイレもきれいになった。われわれにとっては力強いパートナーである。



図3 所長に説明する齊藤先生

 齋藤先生から今回のプロジェクトについて説明した(図3)。所長は驚きながらも好意的な反応を示し、これから保健省への手続きを開始してくれるという。提供スペースについては現在は空きがないが、これから検討することになった。
 会議終了後、NHLの中を見学した。その中にKOICAの看板があった(図4)。寄生虫研究室に韓国が入りこんでいる。若い女性研究者が常駐していた。また、パスツール研究所の看板が何か所かあり(図5)、一つは冷蔵室であった(図6)。外国が入りこんでいる。ちょっと前まで、日本以外はまったく入っていなかったのに。これではスペースが足りなくなる。日本もうかうかしていられない。もちろん、PCR室などあちこちにJICAの看板があり、日本の支援の歴史を物語っている(図7)。



図4 韓国の海外支援(KOICA)    


図5 パスツール研究所の冷蔵室入り口


図6 冷蔵室の扉            


図7 冷蔵室の隣にJICA寄贈のPCR

 夜は所長の招待ディナーで、懇親を深めた。奇しくもメーミョーのDMR所長のMyint先生もニューヨークから戻り、会食に参加した(図8)。シェダゴンパゴダのふもとのレストランだったので、会食後参拝した。日比野先生はビシッとスーツ姿、松本先生は旅慣れた軽装、齊藤先生と私は普通の服装で、多様性に富んだというか、バランスの悪い新潟チームだが、皆裸足で黄金に輝くパゴダを巡った(図9, 10)。日比野先生は自分の誕生曜日の仏様に水をかけてお祈りした(図11)。きっとよいことがあるだろう。昨日は満月の日で休日。多くの参拝客でごった返したという。休日であることを知らずに訪問予定を立てたが、1日ずれたら大変だった。


図8 所長招待ディナー


図9 16夜の月が輝くシェダゴンパゴダ  


図10 皆裸足で参拝         


図11 誕生曜日の仏様に水をかける日比野先生