感染症学会 in 長崎 (のはずですよね?) 4/25-26

Yugo先生が正当派学会レポートを書いてくれたので、私は、スピンオフに。

今回の長崎訪問では絶対に外せないと思ったところがありました。
それは、シーボルトの娘、「楠本イネ」 さん関連の史跡です。

フォン・シーボルトといえば、幕末に長崎にきたドイツ人医師&博物学者としてあまりにも有名です。
お滝さんという遊女をめとり、その思い出としてシーボルトが欧州に持ち帰った「あじさい」に「ハイドランジア・オタクサ」とラテン名を付けた話が園芸好きのなかでは知られています。

そのお滝さんとの間に生まれたシーボルトの混血の娘、イネさんは、いろいろな差別にもめげず医師を志し、日本初の産科医なったそうです。

楠本家のお墓が長崎市内の晧台寺にあるのを知ったのは吉村昭さんの小説「ふぉん・しいほるとの娘」を読んだからでした。

「ふぉん・しいほるとの娘」は文庫が上下巻にわたる長い小説で、下巻がなかなか進まず、今回の出張に持ってきました。博多からの「かもめ」に酔いながら読み進み、ちょうど長崎駅に入るところで読了しました。気分はもう幕末です。

晧台寺は長崎の繁華街、思案橋や浜の町の近くにあり、歩いて行けます。

ついたのはよいのですが、とにかく墓所が広大で見当がつきそうにもありません。

しかし、そこは観光地、「晧台寺にお墓のある有名人マップ」が本堂においてありました。
長崎の寺町はとにかく坂になっていて石段を登っていきます。

途中、NHK龍馬伝」で大泉洋さんが演じた近藤長次郎が葬られている長崎の豪商、小曽根家のお墓もありました。
どこが長次郎の墓かわからず、全体の写真のみとりました。
ドラマでは、長崎を脱出できず非業の最期をとげた近藤長次郎亀山社中でみんなが弔う場面がありますが、その亀山社中もこの近くにあります。
坂の上のすごいところです。

このお墓を見ているときも、地元の方がすれ違うと「こんにちはー」と声をかけてくれます。

さて、お墓の中の道なき道をすすみ、目的地がちかづきました。

楠本イネ、二宮敬作(シーボルトの弟子でイネにとっては医学の恩師)と書いた祈念碑を見つけました。

そうこうしているうちに階段を降りてくる男性と目が合い何となく会話がはじまりました。
ありきたりの「どこから来たの?」みたいな会話から始まり、「フォン・シーボルトの娘の墓を見に来た」と言ったら「あー、そこは記念碑だけで、本当のお墓はあの街灯の下にあるよ・」
 その方の言うには、「私は幕末の長崎における最も偉大な人物はシーボルトの娘だろうと思う。司馬遼太郎花神にそこらへんのことよく書いてあるよね」と。

封建的な時代に女性でも職業を持ってがんばったシーボルトの娘を評価してくれたことにちょっと感激。

また、その方曰く私の服装をみて,「まずはさー、長崎の観光に来るのにそんな靴じゃだめだよね。スカートもだめだよね。長崎は坂が多くて疲れるからスニーカーとジーンズで来なきゃ。」と長崎の人らしい親切心から来るコメント。ありがとうございました。

楠本家のお墓をとらせていただきました。

よくみると、つい2,3年前になくなったご親族もいるようです。
幕末からの綿々たる系譜を思ってしばし歴史ロマンに浸りました。合掌。

そして・・やっぱりいっちゃいました。
トルコライスのつるちゃん

長崎にくるJR特急「かもめ」であれだけ酔ったはずなのになぜか食べれてしまうトルコライス
自分の現金さにもあきれ果てました。

これも、仕事来てるんですけどね?仕事・・。あくまで飛行機の関係で、早く長崎についたからです。

学会はちゃんと朝から参加しました(T.T)。途中、いろいろな人としゃべっている時間は多かったですが・・。うまく研究をすすめる上でもコミュニケーションが大事だから!ということにさせていただきましょう。


前のブログから連続になり、すみません。